—— 進化したはずの医療の先で、足りなかったもの ——
私はこれまで、再生医療、抗老化医療、栄養、分子レベルの研究、さまざまな“最先端”と呼ばれる領域に関わってきました。どれも、素晴らしい技術です。実際に、多くの人の可能性を広げてきました。それでも、あるところでずっと拭えない違和感が残っていたのです。
「治療」や「若返り」では説明できない人たち
現場で出会うのは、こんな方たちでした。
- 検査では大きな異常がない
- 最新の知識も取り入れている
- 意識も高く、努力もしている
それなのに、
- なんとなく調子が悪い
- 回復が追いつかない
- 年々、無理がきかなくなっている
特に40代以降、このタイプの不調がとても多い。医学的には「説明しきれない」。でも、ご本人にとっては「確かに苦しい」。私は次第に、こう感じるようになりました。これは技術や知識の不足ではない。“見る視点”が足りていないのではないか。
進化した医療が、扱えない領域
西洋医学や最先端医療は、
- 壊れたものを修復する
- 数値を改善する
- 病気を治療する
ことには、圧倒的な力を持っています。でも一方で、
- 壊れる手前
- なんとなく続く不調
- 年齢とともに変わる「負荷の感じ方」
こうした領域は、とても扱いにくい。私はそこで初めて、「これは医療の欠陥ではなく、役割の違いなのだ」と理解しました。
養生は、古くて新しい“視点”だった
そこで改めて目に留まったのが、養生という考え方でした。養生というと、
- 古い
- 精神論
- 根性論
そんなイメージを持たれることもあります。けれど深く見ていくと、養生が扱っているのは、
- 壊れない使い方
- 無理が積もらない生き方
- 年齢や季節に合わせた調整
つまり、そもそも破綻しないための設計思想だったのです。これは、どんなに医療が進歩しても、置き換えられない領域でした。
若返りでは、救えない人がいる
もう一つ、大きな転換点がありました。「若返り」や「抗老化」を一生懸命に追いかけている方ほど、
- 疲れやすい
- 崩れやすい
- やめると一気に落ちる
という現実を、何度も目にしたことです。ここで私ははっきりと気づきました。多くの人に必要なのは、“若返る体”ではなく“破綻しない体”なのではないか。この問いが、すべての起点でした。
自律神経・炎症・未病 —— すべてはつながっていた
その後、自律神経、慢性炎症、未病、潜伏ストレスなどをあらためて一つの流れとして見直す中で、東洋医学の養生が語ってきたことと、現代医学が示し始めていることが、同じ場所を指していることに気づきました。
- 頑張りすぎると壊れる
- 回復できなければ老化が進む
- 体は「安全」だと感じた時しか修復しない
これは精神論ではなく、今では科学的にも説明がつく話です。
私が養生に「立ち返った」理由
だから私は、養生を「昔に戻ること」だとは思っていません。むしろ、
- 再生医療
- 抗老化医学
- 栄養・分子生物学
これらを本当に活かすために、養生という土台が必要だった。技術の前に、「どう使うか」という思想が必要だったのです。
養生は、努力ではなく“設計”
私がいま大切にしている養生は、
- 我慢すること
- 修行のように頑張ること
- 正解を押しつけること
ではありません。
- 迷わなくていい
- 無理を続けなくていい
- 壊れる前に立て直せる
そんな“生活の設計”です。健康を、意識の高い人だけのものにしない。これも、養生が持っていた本来の役割でした。
おわりに
医療が進歩した今だからこそ、養生が必要になっています。それは後ろ向きな選択ではなく、次のフェーズへ進むための視点です。
私はこれからも、
- 科学と思想
- 医療と生活
- 再生と養生
その間をつなぐ場所として、養生を扱っていきたいと思っています。それが、これまで出会ってきた多くの方の「説明できない不調」に対する、いまの私なりの答えです。
